ルカによる福音書2章1〜20節 牧師橋爪忠夫
神の御子キリストのご降誕の出来事ほど、御子キリストを送り出すがわと、迎える がわとの違いが著しいものはありません。天上の世界とこの地上の世界は光と闇のよ うに対照的でした。そしてこの対照は地上の世界ばかりに目を奪われている人々に、 天という世界があることを気づかせてくれます。
天と地が御子の降誕をめぐって全く対照的であったとはどういうことでしょうか。 その対照を象徴的に表わす言葉を、まず抜き出してみましょう。地上の世界を象徴す るのは「勅令」(1節)です。それに対して天上を象徴するのは「喜びを告げる」 (10節)です。これは名詞形にすれば「福音」になります。この二つの違いがどれ ほど大きいかは、福音書記者ルカが描いているクリスマスの物語をたどるとよくわか ります。
勅令とは要するにお上のお触れです。ローマ帝国が地中海世界を支配した歴史の中 でも、最盛期の皇帝アウグストゥスの時代に、全領土の住民に勅令が出ました。それ は、住民すべてに、「登録をせよ」というものでした。住民登録とか人口調査という 言葉を聞いても、私たちは特に嫌な感情をもたないかもしれません。しかしこれは、 強大な征服者ローマ皇帝が占領民に下す命令です。とうてい好感がもてるものではあ りません。その目的は税金でした。一人も漏らさず数えあげ、ローマに税金を納めさ せるためでした。さらに重要な目的がありました。それは治安維持です。征服者にと っていつも警戒をするのは反乱とか独立運動です。主イエスの弟子たちの何人かは熱 心党の所属者たちでした。これはユダヤの独立を目ざす非合法の組織です。こういう 動きをローマでは最も警戒していました。従って住民登録とは、一人一人の住民の素 性を明らかにする目的がありました。「おのおの自分の町」(3節)へ帰らせ、血筋 まで洗い出して、不穏分子を予め掌握するということです。そのためにこの登録は妻 や家族の同伴を義務づけました。その背後には領民に有無を言わせぬほどの軍事力が ありました。軍馬に乗り、赤いマントを翻し、鎧に身を固め、剣を帯びた大軍が控え ていました。この軍隊の脅威におびえながら、占領民たちは、住民登録の勅令に従っ たのです。これらの背景がわかることによって、なぜヨセフが身重なマリアを連れて 旅立たなければならなかったのか、そしてそのベツレヘムへの旅先で、初子が生ま れ、飼い葉桶に寝かせたということがどういうことかがわかります。御子キリストは 神の子どころか、人並みの扱いすら受けていませんでした。人間がその力を誇る典型 は武力です。その勅令の下では御子の誕生は闇に包まれます。「宿屋には彼らの泊ま る場所がなかった」(7節)とは、まさに象徴的です。その下で、御子キリストがど う扱われるかで、闇の度合いが測られるのではないでしょうか。
これと対照的なのが天上の世界です。その光景をベツレヘムの郊外で夜通し野宿し ていた羊飼いたちが見ました。それは輝くばかりの光景でした。羊飼いたちは主の天 使とともに現れたまぶしいほどの主の栄光に最初こそ恐れましたが、その後は全く変 わりました。天使のもたらしたのは喜ばしい福音だったからです。天使は御子キリス トの誕生をこう告げます。 「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた がたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがた は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあ なたがたへのしるしである」(10〜12節)と。天使が告げている福音は民全体が 強制的に数え上げられるのではなく、大きな喜びを与えるということです。この天使 のみ告げの後にあるのがまさに天上の世界を映し出す光景でしょう。天の窓が大きく 開かれ、羊飼いたちはその光景を目の当たりにしました。「すると、突然、この天使 (単数)に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神 にあれ、地には平和、御心に適う人あれ』」(13〜14節)ある注解者はこう指摘 しています。天の「大軍」という言葉も、ローマの軍隊を表わすのと同じ言葉が使わ れています。しかし、その様子はいかに異なっているでしょうか。彼らは武器を身に つけていません。敢えて武器といえば、それは口です。歌声です。神賛美の歌声で す。「神に栄光あれ、地には平和あれ」と歌いどよめいています。御子キリストの降 誕はそれほど天上では大きな、また光輝く出来事です。御子を送り出す天上の世界は 喜びにわき立っています。
ただしこの二つの世界の対照のみを際立てるのが御子キリストの降誕の目的ではあ りません。天上の世界の窓が開かれ、その光が地上に差し込んだことこそその夜の出 来事だったからです。御子は天の大軍の賛美の声とともに、天上から送り出され、全 く異なる地上の世界においでになりました。対照は破られ、地上の闇の中に、主の栄 光が臨み、御心に適う人々に、天上の平和が訪れ出しました。あくまで二つの世界が 対照的に固定しているのではなく、天地は動き出したのです。天の世界の躍動が地の 闇を揺り動かし出したのです。そのことを具体的に述べれば次のようになるでしょ う。
ベツレヘムに向かうヨセフとマリアの足どりは、いかにも重苦しいものです。我が もの顔に強権を振りかざすローマに追い立てられて、不安と悲哀が顔に浮かびます。 しかし、天の御使いとその大軍の賛歌を聞いた羊飼いたちの足どりは違います。 「『さあ、ベツレヘムヘ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではな いか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせ てある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天 使が話してくれたことを人々に知らせた」(15〜17節)。この羊飼いたちの足ど りは軽やかで、すでに天使や天の大軍と同じ足どりになっています。御子キリストの 降誕は、人々を勅令下の足どりから、福音をたずさえた足どりへと変えるのです。そ れを変えることこそ神の大きな喜びであり人々に与えられる救いです