説教 我が国籍は天にあり
フィリピの信徒への手紙3章17〜21節
牧師 橋爪 忠夫


今日は私たちの教会の天にある先輩たちを覚える永眠者記念礼拝です。1930年 の教会設立以来、138名の方々、特に今年は長年六教会で教会生活を守られた瀬川 孝枝、内藤眞里子、高津りよ、太田富子の諸姉を天に送りました。他にも永く寄り添 われた配偶者を亡くされた三人の姉妹の方々の葬儀もこの教会で行いました。その悲 しみはなお新しいと思われている方々もいるでしょう。悲しみは涯なく、終りなしと 感じられている方もいるかもしれません。しかし今日、私たちは、聖書のみ言葉か ら、これらの死、そして悲しみが最後ではないのだ、涙で終るのでなく、それがぬぐ われ、悲しみが喜びに変えられるということがあるのだということをともに聞きまし ょう。
 それを物語るのが「しかし、わたしたちの本国は天にあります」(20節)とい う。パウロの言葉です。文語訳に近づけて「我が国籍は天にあり」という説教題にし ました。特にこの「本国」とか「国籍」と訳されている言葉に注目しましょう。ある いは祖国、母国、ふるさととも解される大きな保護と拠り所が浮かんで来る言葉で す。またこの国籍をもつのは、すでに天にある先輩だけではなく、私たちもそうなの だということを確信したいと思います。この「本国」、「国籍」と訳された原語(ポ リテゥーマ)は聖書の中にはこの一回のみの珍しい言葉です。特殊なもので、国籍、 あるいは市民権と訳すのが私はよいのではないかと考えています。しっかりした裏付 けを伴った保証というニュアンスが伝わって来るからです。この天にある国籍をもっ ものにはどんな悲しみや死の恐ろしさに対しても、それを乗り越える保証と力が与え られるのだということです。
 ここで大きく話題を変えますが、ここ十数年の私たちの生活の中で、さいふの中 味に、ある革命が起っているのではないでしょうか。今までの貨幣や紙幣に代って、 カード類、ことにクレジット・カードが幅を利かせています。買物の様子も変わりま した。現金でなくても、カード一枚を使えば、高額な買物ができます。これは貨幣の 延長にあるものですが、このような通貨やカードを指して、驚き、疑い、大いに不思 議の体を示した19世紀の人物がいます。それは有名なカール・マルクスです。彼は若 い時代に「貨幣論」という文章を書き、お金やカードというものが、大変に抽象的な ものだと言いました。私たちはお金ほど目に見えて具体的なものはないと見ますが、 彼はそうではなく抽象的だと言いました。なぜなら、それらは単なる金属や紙の一 片、クレジット.カードならプラスチックの小さな一片です。それが大きな経済活動 を可能にするのは、ひとえにその背後に膨大な信用と約束の大系が控えているからで す。この背後に控えているものの大きさに比して、そのわずかな紙幣やカードの姿 を、マルクスは大変に抽象的だと呼びました。それは私たちにもよくうなずける見解 ではないでしょうか。
 実はこういうことを言ったのは、これよりももっと大きなものに注目して欲しい からです。日本国内にいれば、あまり感じませんが、私たちが外国に行く場合に、そ のお金やカードよりも大切にしなければならないものがあります。それは、国籍を証 する。パスポートです。これがなければ、身の安全について保証がなく、身動きの取 れない事態になります。国籍が定かであるかどうかはこの。パスポートが証ししま す。この。パスポートの背後にも、お金にまして所持者に対する国家の保証と信任が あります。私たちは「我が国籍は天にあり」という場合、天国すなわち神の国より信 任を与えられ、神の国の。パスポートをもってこの世の国を旅しているのだというこ とです。
 パウロがこの手紙を送ったフィリピの教会について、次のような歴史的な事情が ありました。フィリピとはローマ帝国のマケドニア州の州都で、ローマに通ずるエグ ナチア街道という大街道の通る戦略的な要衝であり、ローマはこの都市を植民都市と しました。長年ローマに忠誠を尽くした老兵たちをこの都市に住まわせ、ローマ国籍 を保証し、種々な恩典を与えました。その一隅にパウロの伝道により生まれたのがフ ィリピの教会です。そこは多分、ローマの保証を得た将兵とは対照的なユダヤからの 難民、様々な国からの移民たちがメンバーであったに違いありません。彼らはローマ の国籍をもつ人々とは全く対照的に何の保証も、その背後に国家の信任のある、今日 でいう。パスポートを持ち合わせていません。それは不安な拠り所のない生活に映る こと必至です。それに対して使徒。パウロが彼らに呼び起しているのが、教会に所属 する人々に与えられた天国の国籍です。彼らはこの国籍を持つものの心強さを「あら ゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって 守る」(4章7節)と力強い言葉で言い表わしています。この一句こそフィリピの教 会のl々の魂に届けた福音でした。
 私たちはここで、私たち自身について起った国籍の革命に気づかなければなりま せん。その所持する。パスポートとは何かを知らなければなりません。まずこの私た ちの天に国籍をもつことを証する。パスポートとは何でしょうか。私たちが地上の国 に属するのでなく、天上の国の籍を持てるのはどうしてでしょうか。それは端的に洗 礼だとも言えます。しかしさらにパウロの確信から言えば、その。パスポートとは、 「わたしにとって、生きるとはキリスト」(1章21節)と言われているように、キ リストご自身が私たちの命であり、私たちと一体化して下さるキリストがパスポート なのです。天の国から発給される。パスポートは私たちの力によるのではなく、キリ ストが十字架につけられ、私たちのために苦しみ死なれ、そして復活というみ業以外 では得られるものではありません。キリストが生涯をかけ、父なる神の御心に従った 労苦によって私たちに与えられた特典がこの。パスポートです。これがどのような逆 境、異境、そして死に対しても私たちの身分と命を保証し、守るのです。感謝の他あ りません。
 天にある先輩たちはその保証のとおり、天に帰りました。私たちも、この約束と 保証を与えられて、この旅券(パスポート)をもってこの地上を歩みましょう。